2007年11月28日

温暖化とイースター島の悲劇

水不足、新たに18億人被害・国連開発計画が報告書
国連開発計画(UNDP)は27日、地球温暖化の貧困層への影響に焦点を当てた2007年版「人間開発報告書」を発表した。温暖化で氷河の融解が進めば世界人口の40%以上に影響し、80年までに新たに18億人が水不足に苦しむと予測。農業への悪影響に伴い飢餓問題が広がる懸念も指摘した。

報告書は二酸化炭素(CO2)の排出量について、現在の傾向が続くなら30年までに00年比で5割増えると想定。80年にはヒマラヤの氷河がなくなり、インダス川の流れが最大7割減少するなど世界で水供給が不安定になる可能性があると指摘した。(07:02)
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地球は本当に大変なことになっているのではなかろうか。。。
モアイで有名なイースター島の悲劇を思い出しました。

自然の力 生命の力
「消えた森林 滅びた文明」

 巨大石像モアイで知られる南米チリ・イースター島。18世紀初頭のイースターの日に上陸したオランダ人以来、訪問者たちには島民の貧しい暮らしと、高度な巨石文明がどうしても結びつかなかった。このため、世界7不思議のひとつにも数えられたが、科学のメスが浮き彫りにした島の過去には、現代人への教訓が刻まれている。

 首都サンティアゴから飛行機で5時間余り。大陸から約3700キロ・メートル離れた絶海の孤島には、荒涼とした風景が広がる。島の植物は最近植えた木々を別にすると、短い丈の草ばかりだ。「少なくとも100年前は、木は1本も生えていなかった」。モアイなど島の歴史のなぞを探る、同島出身の考古学者セルジオ・ラプさん(55)は、こう語る。

 祖先神であるモアイの製造は、10世紀ごろ始まり、15〜16世紀にピークを迎えた。その数1000体余り。島のあちこちに建てられたが、16世紀後半からは、石像を引き倒す“モアイ倒し戦争”が始まった。

 「一番悲惨だったのは16世紀から17世紀でした」とセルジオさん。食糧が尽き、氏族間で互いを食べ合う食人(カニバリズム)まで行われたからだ。島の文明はなぜ崩壊したのか。そのヒントになる島の過去が最近の科学的研究で明らかになってきた。

 荒波を越え、ポリネシアから来た島民が島で暮らしだしたのは5世紀以降。それまで約3万年間、島はヤシの木など豊かな森に覆われていたことが、ニュージーランドのジョン・フレンリー博士らによる花粉分析で分かった。 それによると、木々の花粉は6世紀ごろ減り始め、モアイ建立がピークの15世紀以降にはほぼ消滅、イネ科などの草に変わった。

 入植後、人口の急増で、島民は農地が必要となり、森を切りひらいた。入植時に偶然持ち込まれたネズミが大繁殖し木々の種子を食べ尽くしたことも、森林の消滅に拍車をかけた。

 森がなくなったことで、土砂が流出してタロイモやバナナなどの農作物は育たなくなった。漁業用の丸木舟も作ることができない。それは同時に、飢餓の島から島民が脱出できなくなったことをも意味した。こうした状態では、モアイづくりに精力を割けなくなったのかも知れない。

 今年3月、花粉分析のため、この島を訪れた国際日本文化研究センター教授の安田喜憲さん(58)は「森と文明には密接な関係がある」と語る。森を切り尽くした結果、文明が崩壊した事例はイースター島だけではないからだ。安田さんは「いまは裸同然のインダス文明やギリシャ文明などの跡地もかつては森が覆っていた」という。

 イースター島の場合は元々植物の種類が少なく、変化に弱い生態系だった。セルジオさんは「この島が例外だったわけではない。ただ、崩壊するのがあまりにも急激だった」とみる。
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posted by チームイワナ初代名誉会長 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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